有限会社西川電設

JR関係の電気工事を依頼するなら【有限会社西川電設】

コラム

Column

春といえばお花見!!


日本において、新生活のイメージとして欠かせないのが、桜!!
最近では、桜のシーズンをお目当てとした訪日観光客の数も増加しているみたいです。
日本の春の景色は日本人だけでなく、世界で愛されつつあるのですね! 
古くから日本人に寄り添い、愛されてきている桜。
ですが、奈良時代、春の花の一番人気は、桜ではなかったようです。さて、何の花でしょう?

それは・・・梅です!!! 

日本最古の和歌集である「万葉集」では、梅を題材としたものが100首以上と圧倒的に多く、桜よりも梅の方が愛されていた様子が伺えます。ところが、平安時代の「古今和歌集」・「新古今和歌集」になると、状況は逆転して。人気はすっかり桜のものに。

その理由は、桜の名前の由来にありそうです。これまた諸説あるのですが、
「さくら」の「さ」が田の神様、「くら」が神様の座られる「御座(みくら)」を意味するという説。
この語源にちなみ、人々は桜の花の下で五穀豊穣を神様にお祈りをするように。そのため、田畑の周りに多くに桜が植えられ、桜は神様のいる場所として、特別に愛されるようになった、といわれています。
ちなみに、この神様へのお祈りするための宴が、“お花見”の由来にもなっているようです。
さらに、そのお花見が一般庶民にまで浸透していった背景には、なんと政治的な意図も!

江戸時代、徳川八代将軍の吉宗は、「享保の改革」の一環として、桜の植樹を推進。その狙いは、治安と治水対策、そして、世の中や幕府に対する不満を持つ人々に、お花見を楽しむことでガス抜きをさせるという目的があったとか!
さらに、冬場の霜などで緩んだ土手。そのまま梅雨の時期を迎えようものなら、決壊のおそれが。しかし、土手に桜を植えておけば、春のうちに花見客によって地面が踏み固められ、決壊を防ぎやすくなる、という防災上の意図も込められていたとか! 江戸城を囲む城壁だった“お堀沿い”をはじめ、水辺や川辺の土手が桜の名所であることにも、ちゃんと理由があったのです!

たかが桜、されど桜……ここにもさまざまなストーリーが隠されていたのですね。

  • 〒714-0032
  • 岡山県笠岡市西大島2438-50